Pride of Me 私たちが創る未来
1943
Flowers
H
16:27
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2026 6/26

僕は、広島に行く前、正直原爆をなめていました。その理由は恐らく色々な兵器を調べる中で「他の兵器の方が怖い」と思ってしまったのが原因でしょう。と言うか、兵器にこっちの方が怖いとかを考える事が間違っている。平和資料館で見たもので2つのものがとても印象に残っています。一つ目は原爆症で身体中に紫色の発疹が出ている男の人の写真です。感じたものは恐怖です。もちろん原子爆弾に対しても恐怖を感じました。でも、一番恐怖を感じたものは、その男の人の目です。どうしてかと言うと、目から、絶望、諦め、感謝この三つを感じたからです。その人の感情がごちゃごちゃになっているように感じて、恐怖を感じたのでしょう。二つ目は、原爆で自分の子供が死んでしまった母親が目を開けない我が子にいった言葉です。それは「目を開けて、目を開けて」です。この言葉を見た時に変な衝撃が走った感覚がして、突然恐怖と悲しみ?が湧き上がって来ました。僕には霊感なんてないけどその時にその母親の魂?みたいなものを感じました。この二つは僕に原子爆弾への恐怖を再確認させてくれました。僕が広島に行って感じたことは、「人間が一番怖い」ということです。そう思ったきっかけは、焼け野原と化した広島を皆で協力して、復興させたということを聞いた時です。僕の思考だと大分非現実的で「すごい」と尊敬の念を抱くのと同時に、人間の生きようとする力の恐怖も感じました。その恐怖は敵国のアメリカからも感じました。原爆の威力も十分過ぎるくらい僕にとっては非現実的でとても恐怖を感じました。原爆を実験目的も兼ねて投下したアメリカも鬼畜に見えますが、日本が最初に戦争を仕掛けたことを考えると、少し自業自得味があるのはとても複雑な気分になります。
十人殺されたと聞くだけでも沢山死んだと僕は思うのですが、140万人とか気が遠くなるくらいの人数が死んでいて、今からは考えられないです。最近なら一気に人が死んでも、2万にくらいなのに、原爆は約140万人で約70倍です。
碑巡りで鐘の説明を受けた時、外側のデザインは世界地図のようになっている事と国境がないことを教えてもらい、僕は国境が無い理由を「世界は繋がっているっていうことかな」と即答できました。恐らく広島を色々見ているうちに、昔の広島の人、今の広島の人、死んでしまった人などの思いが、願いが理解できたのかもしれません。そしてこれは1日目の話なので、ものすごく早く僕の心に平和への思い、願いが伝わっていた、響いていたのでしょう。僕は、毎日学校に通えることは当たり前と思ってしまっています。ですが、逆に考えると、それが当たり前と思ってしまうくらい、今が平和ということです。このくらいの平和が長く続く、誰もが感じられるよに自分にできることをしていこうと思います。

RTM
13:49
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2026 6/16

Pride of Hiroshimaの映像や大学生のみなさんの説明を聞いて、広島の復興の様子などがネットだけじゃ知れないようなことなどがすごく分かりやすくまとめられていて当時の様子が細かく知れました。特に印象に残っているお話は原爆投下により建物が焼け、お金などを貯めていた銀行や通帳などのものも焼けてしまってお金がなくなってしまうということがあった。お金が必要なのにお金がないそんなときに銀行の人の職員にあずけていたぶんのお金を言いそのぶんのお金がもらえるということをしてお金をもらっていたそうです。職員は言われたらそのことを信じてそのぶんのお金を渡していて、そんなことをしていたら嘘をついてお金をたくさんもらおうとする人もいるかも知れないのに、それでも職員は言われたことを信じて渡していたし、言う方も嘘をついた人はいなかった。この話を聞いて私は広島県民の温かさや優しさが伝わってきました。
原爆はたくさんの人を殺す悲しい兵器だし、などとこんな酷いことになってほしくないけど、この平和研修を通して戦争の悲惨さなどを学んだけど、それといっしょにこんなにも悲惨なことがあったのに立ち上がっていく人々の強さを学べてとても良かったです。

KYU
13:36
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2026 6/16

私は、プライドオブ広島で原爆が落とされつらい思いや苦しい思いをしている中でも今の広島のために未来の広島のために自分たちにできることは何か考え、復興に向けて行動していることに心を打たれました。特に、銀行が焼けてしまい、通帳やお金も無くなってしまったのにも関わらず、騙すということなくお互いに助け合っていくということがすごいと思ったし同時に共感しました。原爆により家もない水もない、食べ物もない、もしかしたら家族もいない、そんな状況の中で自分のことはもちろんまわりのことも考えて行動できるというのに心を打たれました。
広島研修を通して原爆は、私が思っていたよりも悲惨で被爆したときはもちろん、その後も体と心に深い傷をつけているということがわかりました。被爆した方は、高齢の方がほとんどでその方達から実際に話を聞くことはもうないと思うし、ときが経つにつれて無くなっていってしまいます。この出来事は絶対に忘れていけはいけないと思います。それを私たちが未来の人々に伝え、思いを受け継いでいくからこそよりより良い未来を築くことができます。それから潤子さんは、「それぞれの立場で自分にできることは何かを考えて行動することが大切」ということもおっしゃっていました。私の立場は、班長、MSJであり、この真正中学校の一人であります。さらに学校ではなく真正地域の一人でもあります。ここから私にできることは日々の生活の中で私と一緒に生活している仲間、全員が幸せで笑顔で生活を送れることです。班長として、今全員が幸せとは言いきれないのでお互いが認め合えるように、良さを伝え合いたいです。学校では今MSJとして生徒玄関で毎日挨拶をしています。ですがただ挨拶をするだけではなくそこから例えば、その中で良かった姿を紹介する、範囲を広げ小学校に挨拶しにいくなどできることを考えたいです。また、登下校のときに地域の方が挨拶をしてくださいます。笑顔で挨拶ことを続け、その輪を広げて行きたいです。そしてみんなが笑顔で幸せと言える班、学級、学年、学校、地域を目指したいです。

KK
13:26
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2026 6/16

私は、プライドオブ広島で原爆が落とされつらい思いや苦しい思いをしている中でも今の広島のために未来の広島のために自分たちにできることは何か考え、復興に向けて行動していることに心を打たれました。特に、銀行が焼けてしまい、通帳やお金も無くなってしまったのにも関わらず、騙すということなくお互いに助け合っていくということがすごいと思ったし同時に共感しました。原爆により家もない水もない、食べ物もない、もしかしたら家族もいない、そんな状況の中で自分のことはもちろんまわりのことも考えて行動できるというのに心を打たれました。
広島研修を通して原爆は、私が思っていたよりも悲惨で被爆したときはもちろん、その後も体と心に深い傷をつけているということがわかりました。被爆した方は、高齢の方がほとんどでその方達から実際に話を聞くことはもうないと思うし、ときが経つにつれて無くなっていってしまいます。この出来事は絶対に忘れていけはいけないと思います。それを私たちが未来の人々に伝え、思いを受け継いでいくからこそよりより良い未来を築くことができます。それから潤子さんは、「それぞれの立場で自分にできることは何かを考えて行動することが大切」ということもおっしゃっていました。私のの立場は、班長、MSJであり、この真正中学校の一人であります。さらに学校ではなく真正地域の一人でもあります。ここから私にできることは日々の生活の中で私と一緒に生活している仲間、全員が幸せで笑顔で生活を送れることです。班長として、今全員が幸せとは言いきれないのでお互いが認め合えるように、良さを伝え合いたいです。学校では今MSJとして生徒玄関で毎日挨拶をしています。ですがただ挨拶をするだけではなくそこから例えば、その中で良かった姿を紹介する、範囲を広げ小学校に挨拶しにいくなどできることを考えたいです。また、登下校のときに地域の方が挨拶をしてくださいます。笑顔で挨拶ことを続け、その輪を広げて行きたいです。そしてみんなが笑顔で幸せと言える班、学級、学年、学校、地域を目指したいです。

SAK
13:24
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2026 6/16

実際に平和資料館に訪れてて被爆した方の写真や私物を見てどれだけ酷い戦争だったということを目の当たりしました。
研修当日は雨だったため平和資料館前で「HEIWAの鐘」を合唱しました。当時の人たちはどれほど辛かったか。そして二度とこの残酷な事が起きる事なく平和の灯火が早く消せるようにと強く思いながら歌を歌いました。雨の中でも通りかかった多くの外国の方が足を止めて私たちの合唱を聞いてくれました。歌い終わったあとたくさんの拍手をもらいました。この時聞いてくれた外国の方含めみんなの心は「戦争は残酷なことだ。このようなことは絶対に起こってはいけない。」と一つになったと私思いました。
午後からは実際に被爆した方の話を聞き「助けて、助けてください。」と赤ちゃんを抱き泣きながら叫ぶ女性の事。酷い大火傷をおおった家族。今の日本では過去にそんなことが起こっていたと考えられないほど平和です。
学校に帰って校長先生の話がありました。「今、平和だとしても、いじめや差別がある。これは平和だと言えるのか?」と話てくださいました。確かにこれは平和と言えるのか?たとえ今の日本が平和としても日常生活でいじめや差別が起こっていたらみんなが幸せで平和と言えないと感じました。
広島研修を終えてこれからの生活ではちゃんと自分が発する言葉を考え、まずは自分から小さいことの挨拶などを心掛けれは今よりももっと平和になると思います。

HST
08:17
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2026 6/16

Pride of hiroshima展ではたくさんのことを学びました。
僕が驚いたことは原爆投下のわずか2日後にはお金が復旧していたということや原爆投下後の年末には三輪トラックが生産されていたということ。(10台)そしていまでも被爆した広電がひろしまのまちを走っているということ。そして僕たちに案内をしてくれた藤山実咲さんの言葉が心に残っています。「原爆ではたくさんの人が亡くなりましたが生き残った人もいました。その生き残った人々は悲しみや苦しみをこらえて地道な一歩一歩を踏み出してきました。その地道な一歩がなければ今私たちが見ている広島はなかったのかもしれません」という言葉です。この言葉を聞くと言葉に表しようもないくらい感動や尊敬そして原爆を身近に感じることができました。また、pride of hiroshima展の入った時にある壁のようなものにかかれている言葉。一瞬で失われた命、家、街。
「負けるもんか、負けてたまるか」
残された人たちは懸命に毎日を生きた。

がれきを運ぶ人たち、水道や電気、ガスを復旧する人たち、
路面電車を動かす人たちを見た。
自分にも何かできるはず。そう思い始めた。
「よし、お好み焼きを焼いて、子供たちに食べさせよう」
それから長きにわたり、その人はこの街でお好み焼きを焼き続けた。

70年間草木も生えないと言われた焦土に、一輪の夾竹桃が咲いた。
それを見て、生きる希望を取り戻した。
隣の人を気づかい、隣の人がそのまた隣の人を気づかう。
いつしか人々は笑顔を取り戻していた。

「カープが始まる時間だ」
観戦している間だけは苦労を忘れ、大声で応援した。
見知らぬ隣の人と肩を叩き合い、無邪気に喜ぶ。
「明日もがんばるか」

あれから70年あまり。
広島は120万都市にまで発展した。
美しい自然、多様な文化、世界とつながる産業。
先人たち、そして私たちがこつこつと築き上げた新たな誇り、プライド。

小さなことでもいい。人のためになりたい。
隣の人を、隣の街を、隣の国を、気づかっていきたい。

世界中に届け、広島のプライド。
この言葉がずっと心に残っています。
僕が思う平和とは世界中の人々が幸せなことだと考えます。実現が難しいものだけれど地道な一歩を踏み出して実現していきたいと思います。