Pride of Me 私たちが創る未来
SAK
13:24
Message from
2026 6/16

実際に平和資料館に訪れてて被爆した方の写真や私物を見てどれだけ酷い戦争だったということを目の当たりしました。
研修当日は雨だったため平和資料館前で「HEIWAの鐘」を合唱しました。当時の人たちはどれほど辛かったか。そして二度とこの残酷な事が起きる事なく平和の灯火が早く消せるようにと強く思いながら歌を歌いました。雨の中でも通りかかった多くの外国の方が足を止めて私たちの合唱を聞いてくれました。歌い終わったあとたくさんの拍手をもらいました。この時聞いてくれた外国の方含めみんなの心は「戦争は残酷なことだ。このようなことは絶対に起こってはいけない。」と一つになったと私思いました。
午後からは実際に被爆した方の話を聞き「助けて、助けてください。」と赤ちゃんを抱き泣きながら叫ぶ女性の事。酷い大火傷をおおった家族。今の日本では過去にそんなことが起こっていたと考えられないほど平和です。
学校に帰って校長先生の話がありました。「今、平和だとしても、いじめや差別がある。これは平和だと言えるのか?」と話てくださいました。確かにこれは平和と言えるのか?たとえ今の日本が平和としても日常生活でいじめや差別が起こっていたらみんなが幸せで平和と言えないと感じました。
広島研修を終えてこれからの生活ではちゃんと自分が発する言葉を考え、まずは自分から小さいことの挨拶などを心掛けれは今よりももっと平和になると思います。

H
16:27
Message from
2026 6/26

僕は、広島に行く前、正直原爆をなめていました。その理由は恐らく色々な兵器を調べる中で「他の兵器の方が怖い」と思ってしまったのが原因でしょう。と言うか、兵器にこっちの方が怖いとかを考える事が間違っている。平和資料館で見たもので2つのものがとても印象に残っています。一つ目は原爆症で身体中に紫色の発疹が出ている男の人の写真です。感じたものは恐怖です。もちろん原子爆弾に対しても恐怖を感じました。でも、一番恐怖を感じたものは、その男の人の目です。どうしてかと言うと、目から、絶望、諦め、感謝この三つを感じたからです。その人の感情がごちゃごちゃになっているように感じて、恐怖を感じたのでしょう。二つ目は、原爆で自分の子供が死んでしまった母親が目を開けない我が子にいった言葉です。それは「目を開けて、目を開けて」です。この言葉を見た時に変な衝撃が走った感覚がして、突然恐怖と悲しみ?が湧き上がって来ました。僕には霊感なんてないけどその時にその母親の魂?みたいなものを感じました。この二つは僕に原子爆弾への恐怖を再確認させてくれました。僕が広島に行って感じたことは、「人間が一番怖い」ということです。そう思ったきっかけは、焼け野原と化した広島を皆で協力して、復興させたということを聞いた時です。僕の思考だと大分非現実的で「すごい」と尊敬の念を抱くのと同時に、人間の生きようとする力の恐怖も感じました。その恐怖は敵国のアメリカからも感じました。原爆の威力も十分過ぎるくらい僕にとっては非現実的でとても恐怖を感じました。原爆を実験目的も兼ねて投下したアメリカも鬼畜に見えますが、日本が最初に戦争を仕掛けたことを考えると、少し自業自得味があるのはとても複雑な気分になります。
十人殺されたと聞くだけでも沢山死んだと僕は思うのですが、140万人とか気が遠くなるくらいの人数が死んでいて、今からは考えられないです。最近なら一気に人が死んでも、2万にくらいなのに、原爆は約140万人で約70倍です。
碑巡りで鐘の説明を受けた時、外側のデザインは世界地図のようになっている事と国境がないことを教えてもらい、僕は国境が無い理由を「世界は繋がっているっていうことかな」と即答できました。恐らく広島を色々見ているうちに、昔の広島の人、今の広島の人、死んでしまった人などの思いが、願いが理解できたのかもしれません。そしてこれは1日目の話なので、ものすごく早く僕の心に平和への思い、願いが伝わっていた、響いていたのでしょう。僕は、毎日学校に通えることは当たり前と思ってしまっています。ですが、逆に考えると、それが当たり前と思ってしまうくらい、今が平和ということです。このくらいの平和が長く続く、誰もが感じられるよに自分にできることをしていこうと思います。