Pride of hiroshima展ではたくさんのことを学びました。
僕が驚いたことは原爆投下のわずか2日後にはお金が復旧していたということや原爆投下後の年末には三輪トラックが生産されていたということ。(10台)そしていまでも被爆した広電がひろしまのまちを走っているということ。そして僕たちに案内をしてくれた藤山実咲さんの言葉が心に残っています。「原爆ではたくさんの人が亡くなりましたが生き残った人もいました。その生き残った人々は悲しみや苦しみをこらえて地道な一歩一歩を踏み出してきました。その地道な一歩がなければ今私たちが見ている広島はなかったのかもしれません」という言葉です。この言葉を聞くと言葉に表しようもないくらい感動や尊敬そして原爆を身近に感じることができました。また、pride of hiroshima展の入った時にある壁のようなものにかかれている言葉。一瞬で失われた命、家、街。
「負けるもんか、負けてたまるか」
残された人たちは懸命に毎日を生きた。
がれきを運ぶ人たち、水道や電気、ガスを復旧する人たち、
路面電車を動かす人たちを見た。
自分にも何かできるはず。そう思い始めた。
「よし、お好み焼きを焼いて、子供たちに食べさせよう」
それから長きにわたり、その人はこの街でお好み焼きを焼き続けた。
70年間草木も生えないと言われた焦土に、一輪の夾竹桃が咲いた。
それを見て、生きる希望を取り戻した。
隣の人を気づかい、隣の人がそのまた隣の人を気づかう。
いつしか人々は笑顔を取り戻していた。
「カープが始まる時間だ」
観戦している間だけは苦労を忘れ、大声で応援した。
見知らぬ隣の人と肩を叩き合い、無邪気に喜ぶ。
「明日もがんばるか」
あれから70年あまり。
広島は120万都市にまで発展した。
美しい自然、多様な文化、世界とつながる産業。
先人たち、そして私たちがこつこつと築き上げた新たな誇り、プライド。
小さなことでもいい。人のためになりたい。
隣の人を、隣の街を、隣の国を、気づかっていきたい。
世界中に届け、広島のプライド。
この言葉がずっと心に残っています。
僕が思う平和とは世界中の人々が幸せなことだと考えます。実現が難しいものだけれど地道な一歩を踏み出して実現していきたいと思います。