こんなに”復旧”ってすぐできるんだ
日昇りの朝露見れば光けり、溌溂と言わんばかりに背を押される
600年代から、これまでの広島が発展する様子が、映像と展示でわかりやすく説明されていて大変理解が深まりました。見学させて頂き、ありがとうございました。 広島は、1945年8月6日の原爆で壊滅的な被害を受けましたが、そこから市井の人達が手を取り合い、力強く復興する姿に、まさに『pride of Hiroshima』を感じました。 世界では広島と同じように戦火に見舞われ、壊滅的な被害を受けた都市、そこに生活している人達がいます。広島の復興した姿は、それらの都市、人達に勇気をもたらしてくれると思います。これからも平和都市広島、復興した広島を世界に向け、発信して頂きたいと思います。 Hiroshima これからも、頑張ろう!
僕は、広島に行く前、正直原爆をなめていました。その理由は恐らく色々な兵器を調べる中で「他の兵器の方が怖い」と思ってしまったのが原因でしょう。と言うか、兵器にこっちの方が怖いとかを考える事が間違っている。平和資料館で見たもので2つのものがとても印象に残っています。一つ目は原爆症で身体中に紫色の発疹が出ている男の人の写真です。感じたものは恐怖です。もちろん原子爆弾に対しても恐怖を感じました。でも、一番恐怖を感じたものは、その男の人の目です。どうしてかと言うと、目から、絶望、諦め、感謝この三つを感じたからです。その人の感情がごちゃごちゃになっているように感じて、恐怖を感じたのでしょう。二つ目は、原爆で自分の子供が死んでしまった母親が目を開けない我が子にいった言葉です。それは「目を開けて、目を開けて」です。この言葉を見た時に変な衝撃が走った感覚がして、突然恐怖と悲しみ?が湧き上がって来ました。僕には霊感なんてないけどその時にその母親の魂?みたいなものを感じました。この二つは僕に原子爆弾への恐怖を再確認させてくれました。僕が広島に行って感じたことは、「人間が一番怖い」ということです。そう思ったきっかけは、焼け野原と化した広島を皆で協力して、復興させたということを聞いた時です。僕の思考だと大分非現実的で「すごい」と尊敬の念を抱くのと同時に、人間の生きようとする力の恐怖も感じました。その恐怖は敵国のアメリカからも感じました。原爆の威力も十分過ぎるくらい僕にとっては非現実的でとても恐怖を感じました。原爆を実験目的も兼ねて投下したアメリカも鬼畜に見えますが、日本が最初に戦争を仕掛けたことを考えると、少し自業自得味があるのはとても複雑な気分になります。 十人殺されたと聞くだけでも沢山死んだと僕は思うのですが、140万人とか気が遠くなるくらいの人数が死んでいて、今からは考えられないです。最近なら一気に人が死んでも、2万にくらいなのに、原爆は約140万人で約70倍です。 碑巡りで鐘の説明を受けた時、外側のデザインは世界地図のようになっている事と国境がないことを教えてもらい、僕は国境が無い理由を「世界は繋がっているっていうことかな」と即答できました。恐らく広島を色々見ているうちに、昔の広島の人、今の広島の人、死んでしまった人などの思いが、願いが理解できたのかもしれません。そしてこれは1日目の話なので、ものすごく早く僕の心に平和への思い、願いが伝わっていた、響いていたのでしょう。僕は、毎日学校に通えることは当たり前と思ってしまっています。ですが、逆に考えると、それが当たり前と思ってしまうくらい、今が平和ということです。このくらいの平和が長く続く、誰もが感じられるよに自分にできることをしていこうと思います。
広島研修を通して、人々の力強さを実感した。 75年間草木が生えないと言われていた土地に、草木どこらビルがたくさん立っていてとてもびっくりした。 広島研修前の調べ学習で、広島カープという球団が設立されて、経営難になった時に市民が樽を置き募金を募った。それを聞いて人々の復興に向かおうとする気持ちがとても伝わってきた。 平和資料館に行った時、原爆によって被害を受けたひとの衣服には血がついていてとてもひどいなと感じた。疎開によって子供に会えなくなった親の手紙を見た時とても悲しくて自分も悲しくなってきた。だからこそ戦争は起こしてはいけないし平和であることが一番だと思った。平和のためにできることを考えてみた。例えば、周りでけんかやいじめをしている人がいたら止めたり、戦争や原爆の悲惨さを周りに伝えていくなどがある。 これを続けて、世界が平和になるようにしたい。