広島県内26社が参加し、昨年5月のG7広島サミットに合わせて開催された「Pride of Hiroshima展」が、「ひろしまゲートパーク」内「シミントひろしま」で、常設展として復活します。4月27日のオープンに先立ち、常設展の実行委員長を務める池田晃治・広島商工会議所会頭に、思いを語っていただきました。
― 経済・産業界だけではなく、いろんな分野で、それぞれのPride of Hiroshimaがあるのだな、と改めて気付かされました
スポーツ・文化にもPride of Hiroshimaがあります。
広島東洋カープはPride of Hiroshimaです。広島の復興の中でカープの果たした役割は非常に大きなものがあります。日々の試合結果に一喜一憂し、1975年のリーグ初優勝の時には広島は歓喜であふれました。旧市民球場や現在のMazda Zoom-Zoomスタジアム広島の建設にも多くの皆さんの「たる募金」や「寄附」で支えられてきました。
サッカーにもPride of Hiroshimaがあります。広島高等師範学校附属中学校は、原爆で校舎が倒壊したにも関わらず、原爆投下からわずか2年後の1947年、全国中等学校蹴球大会(現在の全国高校サッカー選手権大会)で優勝しました。1965年には日本リーグができましたが、その年からリーグ4連覇したのが、東洋工業、現在のマツダでした。新スタジアム建設の際にも、多くの「寄附」が集り、2024年2月にサンフレッチェ広島の新スタジアムができました。
チャレンジしてほしい。Pride of Hiroshima展は、チャレンジした人たちの歴史です。チャレンジの歴史の中には失敗もあったと思いますが、失敗を恐れず、チャレンジする人を支える素地が広島にはありました。イノベーションの担い手は若い人たちです。広島にはベンチャーやスタートアップのバックアップとして、「ひろしまサンドボックス」、「コワーキングスペース」、起業家発掘の「広島テックプランター」、新事業創出の「広島オープンアクセラレーター」等が整っているので是非活用してほしいと思います。
今の若い人たちが、次なるPride of Hiroshimaを自分たちでつくって欲しいと思います。
あと何十年後には、これから生まれる新たな企業も広島の経済や雇用・文化・スポーツを支えていると思います。若い人にはそのような広島をつくってほしいし、それに協力するのが我々の役割です。若い人には「社会で必要とされているものが何か」、「DXを活用して新たな付加価値を生む」等、ベンチャー的な発想で考え行動してくれることを期待していますし、それを是非広島でやって頂きたいと思います。そのためのインフラは先程述べたように整っていると思います。
常設展を運営する目的は、
どれだけ次なるPride of Hiroshimaの担い手が育ち、増えたか?
どれだけ次なるPride of Hiroshimaが生まれたか?
だと思います。
復興に尽力した企業に残る80年前からの資料を基に、広島在住のクリエイターの視点を介し復興を感じ取る場「Pride of Hiroshima」の展示を現地でご覧ください。
Divide the footprints of the era related to reconstruction into six categories
Please take a look at the "Pride of Hiroshima" exhibition, a place where you can get a sense of the recovery through the perspective of creators living in Hiroshima, based on documents from 80 years ago that remain at companies that worked hard for the recovery.