Pride of Me 私たちが創る未来
この常設展を通じて
先人たちの想いを
世界中の人々に伝えたい
池田 晃治
広島商工会議所会頭
代表メッセージ 
実行委員長
広島県内26社が参加し、昨年5月のG7広島サミットに合わせて開催された「Pride of Hiroshima展」が、「ひろしまゲートパーク」内「シミントひろしま」で、常設展として復活します。4月27日のオープンに先立ち、常設展の実行委員長を務める池田晃治・広島商工会議所会頭に、思いを語っていただきました。
INTERVIEW
― 前回の展示のコンセプトは「広島の人々の復興の軌跡・輝く今の姿・将来の夢を世界中の人々に感じていただく」でした。大きな反響がありましたが、池田さんはどんな手応えを感じていますか
ウクライナ紛争など国際情勢が緊迫する中、広島がG7サミットの開催地に選ばれ、ウクライナのゼレンスキー大統領の参加もありました。「原爆投下後、70年間は草木も生えない」と言われた広島ですが、惨禍があったことを今や感じられないほど復興を遂げました。「その復興の軌跡、今の広島、そして将来の姿」を世界中の人に見て感じていただくことで、世界各地で、今まさに街を壊され苦しむ方々に対しても、決して夢を捨てないでほしいと伝えたかったのです。

個々の企業、県民・市民の皆さんが広島の復興・発展に努力、協力してきた結果、今の広島があります。皆さんが頑張って今の広島に繋がる道筋をつくってくれました。

展示期間は3週間でしたが国内外から延べ1万7000人の来場がありました。多くの方から共感や理解を頂いただけでなく、わたしたちにとっても、広島の素晴らしさや誇らしさを再認識する意義のある展示になったと感じています。
― コンセプトは引き継ぎつつ、映像技術を駆使した新たな演出も加わる常設展ですが、どんなことに期待しますか

多くの方から常設化への期待の声をいただき、企画内容を再編して実現することになりました。世界に誇れる平和都市を築き上げてきた参加企業の歩みのほか、次なる広島の豊かな未来に向けての取り組みも、映像などを駆使して臨場感あふれる演出でご覧いただけると思っています。

常設展は、是非、学生の皆さんにも見ていただきたい。修学旅行や平和教育で来られる際、広島の復興を成し遂げた参加企業の努力を見ていただきたい。地元の学生の皆さんにもインターンシップの前に本展示で広島の企業の歴史を理解してから会社を選ぶ、そういう面でも活用してほしいと考えています。
又、海外の方にも平和記念資料館、原爆ドームの見学後、その流れの中で見ていただくと広島を非常に理解しやすいと思います。

― 経済・産業界だけではなく、いろんな分野で、それぞれのPride of Hiroshimaがあるのだな、と改めて気付かされました

スポーツ・文化にもPride of Hiroshimaがあります。
広島東洋カープはPride of Hiroshimaです。広島の復興の中でカープの果たした役割は非常に大きなものがあります。日々の試合結果に一喜一憂し、1975年のリーグ初優勝の時には広島は歓喜であふれました。旧市民球場や現在のMazda Zoom-Zoomスタジアム広島の建設にも多くの皆さんの「たる募金」や「寄附」で支えられてきました。

サッカーにもPride of Hiroshimaがあります。広島高等師範学校附属中学校は、原爆で校舎が倒壊したにも関わらず、原爆投下からわずか2年後の1947年、全国中等学校蹴球大会(現在の全国高校サッカー選手権大会)で優勝しました。1965年には日本リーグができましたが、その年からリーグ4連覇したのが、東洋工業、現在のマツダでした。新スタジアム建設の際にも、多くの「寄附」が集り、2024年2月にサンフレッチェ広島の新スタジアムができました。


文化もそうです。
「ひろしま美術館」は、当時の広島銀行の頭取が、原爆で生き残った者のミッションとして、犠牲者への鎮魂の思いも込めてつくったものです。企業名を冠さず、「ひろしま」という名前にも、広島のためにという想いが込められていると私は思います。漢字だと、地名の広島。カタカナだと、原爆を落とされた広島。ひらがなは、平和の広島。そういう意味で名付けられたのでしょう。

1963年に広島市民交響楽団として発足した広島交響楽団も、音楽・文化でのPride of Hiroshimaとして演奏活動を通じて平和のメッセージを発信しています。

― Pride of Hiroshimaは、Pride of Meでもあるな、と思いました。誰もが、受け取る側にも、支える側にもなる良い循環をつくっていけたらいいですね

広島の企業人はワンチームで広島に貢献し、発展に寄与したいと取り組んできました。サッカーや野球のスタジアムのようなハード面もそうですが、地域の人たちがみんなでつくっていくソフトも大切だと思います。海外の方からも観光地として何度も訪れたくなる場所として広島を選んで欲しい。その為には、地域の皆さんの心温まる接遇はもちろん、今まで以上に多言語化した表示等ソフト面の進化も必要です。
― 広島の若者たちには、先輩としてどんなことを期待しますか

チャレンジしてほしい。Pride of Hiroshima展は、チャレンジした人たちの歴史です。チャレンジの歴史の中には失敗もあったと思いますが、失敗を恐れず、チャレンジする人を支える素地が広島にはありました。イノベーションの担い手は若い人たちです。広島にはベンチャーやスタートアップのバックアップとして、「ひろしまサンドボックス」、「コワーキングスペース」、起業家発掘の「広島テックプランター」、新事業創出の「広島オープンアクセラレーター」等が整っているので是非活用してほしいと思います。

大切なのは人・モノ・カネ。特に人は単なる労働力としてではなく、人の輪、情報入手の手段として重要です。若い人がなぜ東京に行くかというと、東京は情報が豊富で、女性が活躍できる職場が多くダイバーシティ&インクルージョンが進んでいるからだと思います。広島もそうならなければなりません。


今の若い人たちが、次なるPride of Hiroshimaを自分たちでつくって欲しいと思います。
あと何十年後には、これから生まれる新たな企業も広島の経済や雇用・文化・スポーツを支えていると思います。若い人にはそのような広島をつくってほしいし、それに協力するのが我々の役割です。若い人には「社会で必要とされているものが何か」、「DXを活用して新たな付加価値を生む」等、ベンチャー的な発想で考え行動してくれることを期待していますし、それを是非広島でやって頂きたいと思います。そのためのインフラは先程述べたように整っていると思います。

常設展を運営する目的は、
どれだけ次なるPride of Hiroshimaの担い手が育ち、増えたか?
どれだけ次なるPride of Hiroshimaが生まれたか?
だと思います。

復興に尽力した企業に残る80年前からの資料を基に、広島在住のクリエイターの視点を介し復興を感じ取る場「Pride of Hiroshima」の展示を現地でご覧ください。
Divide the footprints of the era related to reconstruction into six categories Please take a look at the "Pride of Hiroshima" exhibition, a place where you can get a sense of the recovery through the perspective of creators living in Hiroshima, based on documents from 80 years ago that remain at companies that worked hard for the recovery.