Pride of Me 私たちが創る未来
よろこびがつなぐ世界へ
協賛企業 
キリンビール㈱
広島とKIRINの歴史
1937年(昭和12年) 広島出張所開設(現在の広島パルコの場所)
1938年(昭和13年) 当時東洋一の規模を誇ったキリンビール広島工場操業開始
かつて国府のあった広島県安芸郡府中村がキリンビールで全国4番目の工場用地に選ばれ、
(当時の新聞では「東洋一のビール工場」として掲載された)
キリンビヤホール
(1959年撮影)
1938年(昭和13年)6月、安芸郡府中村に建設されたキリンビール広島工場と同じタイミングに、現在の広島パルコの場所にオープン。多い日で1日1,000人の集客があったという。

1945年8月6日 原子爆弾投下により周囲の町並みはすべて焼失し、この建物も外郭だけが残った。(爆心地から670メートル)
しかし同年12月には早くも営業を再開し、多くの市民の憩いの場として親しまれた。その後40年以上営業を続け、1991年に閉業。

現在、広島パルコのスターバックス側の外壁に、その当時の外壁が埋め込まれている。

1947年(昭和22年) 太平洋戦争後わずか2年で生産再開
1957年(昭和32年) 広島市民球場完成
1960年代 高度経済成長と共にビール需要の増加が続く
1968年(昭和43年) 工場開業30周年
初めて広島のお客様に工場一般公開
1975年(昭和50年) 広島カープ初優勝
広島市民球場でのキリン生ビール販売
1984年(昭和59年) 工場一般公開を「キリンフェスティバル」に名称変更
工場閉鎖までの30年間に延べ90万人のお客様をお迎え
1998年(平成10年) 広島工場閉鎖・キリン広島ブルワリー操業開始
同時に工場跡地を「キリンビアパーク広島」としてビールの薫る街づくりを目指す
ダイヤモンドシティーとの再開発事業の取り組みを開始
2010年(平成22年) キリン広島ブルワリー閉業
(1971年撮影)
イオンモール広島府中
広島工場跡地を総称し、キリンビアパーク広島が2004年3月24日開業。商業施設「ダイヤモンドシティソレイユ」は2011年「イオンモール広島府中」に改称。
ビール工場の跡地に開発されたことから、コンセプトを「ビールの薫りが残る活気と賑わいのある街づくり」とし、ビール工場の面影を残した店舗づくりとなる。インフォメーションの醸造釜などがそれである。しかし工場跡地としてのシンボルであった煙突は増床計画に基づき2015年に撤去。いよいよ2016年秋に増床棟をグランドオープンし、再び中四国最大級のショッピングモールとしてリニューアルした。
いつまでも広島の皆さまのそばに
「ふるさとキリンの森」活動
広島市と「企業の森里親制度による協定」締結し、2010年3月~2015年3月[5年間]
安佐北区にある「市民の森」(安佐町小河内)の一部を「ふるさとキリンの森」としてキリングループ社員にて森林環境保全活動を実施。
麒麟聖獣マークのデザイナーの伝説(?)
麒麟麦酒のラベルをデザインしたといわれている江田島出身の六角紫水(1867~1950)は、日本の伝統文化財を調査し、国宝として保存。厳島神社など貴重な文化財を後世に伝えるとともに、自らも陶芸家として優れた作品を数多く残している。

※漆工芸家の六角紫水がデザイナーであるという説が有力ですが残念ながら証拠となる資料は残されていません。
人と人のつながりと
そこで生まれる笑顔をつくってきたお酒。
これからも、世の中をつながるよろこびで満たしていくために。
キリンビールは、新しい飲み方を提案していきます。

飲む人も飲まない人も、一緒に楽しめる乾杯を。
ほどよいペースで、心地よい時を過ごせる一杯を。

一人ひとりに合った飲み方が、
自分の今日を、みんなの明日を、もっと豊かにしてくれるから。

人が集まり、生まれる笑顔を、一つでも多く未来へ。
キリンビール㈱
復興に尽力した企業に残る80年前からの資料を基に、広島在住のクリエイターの視点を介し復興を感じ取る場「Pride of Hiroshima」の展示を現地でご覧ください。
Divide the footprints of the era related to reconstruction into six categories Please take a look at the "Pride of Hiroshima" exhibition, a place where you can get a sense of the recovery through the perspective of creators living in Hiroshima, based on documents from 80 years ago that remain at companies that worked hard for the recovery.