Pride of Me 私たちが創る未来
HST
08:17
Message from
2026 6/16

Pride of hiroshima展ではたくさんのことを学びました。
僕が驚いたことは原爆投下のわずか2日後にはお金が復旧していたということや原爆投下後の年末には三輪トラックが生産されていたということ。(10台)そしていまでも被爆した広電がひろしまのまちを走っているということ。そして僕たちに案内をしてくれた藤山実咲さんの言葉が心に残っています。「原爆ではたくさんの人が亡くなりましたが生き残った人もいました。その生き残った人々は悲しみや苦しみをこらえて地道な一歩一歩を踏み出してきました。その地道な一歩がなければ今私たちが見ている広島はなかったのかもしれません」という言葉です。この言葉を聞くと言葉に表しようもないくらい感動や尊敬そして原爆を身近に感じることができました。また、pride of hiroshima展の入った時にある壁のようなものにかかれている言葉。一瞬で失われた命、家、街。
「負けるもんか、負けてたまるか」
残された人たちは懸命に毎日を生きた。

がれきを運ぶ人たち、水道や電気、ガスを復旧する人たち、
路面電車を動かす人たちを見た。
自分にも何かできるはず。そう思い始めた。
「よし、お好み焼きを焼いて、子供たちに食べさせよう」
それから長きにわたり、その人はこの街でお好み焼きを焼き続けた。

70年間草木も生えないと言われた焦土に、一輪の夾竹桃が咲いた。
それを見て、生きる希望を取り戻した。
隣の人を気づかい、隣の人がそのまた隣の人を気づかう。
いつしか人々は笑顔を取り戻していた。

「カープが始まる時間だ」
観戦している間だけは苦労を忘れ、大声で応援した。
見知らぬ隣の人と肩を叩き合い、無邪気に喜ぶ。
「明日もがんばるか」

あれから70年あまり。
広島は120万都市にまで発展した。
美しい自然、多様な文化、世界とつながる産業。
先人たち、そして私たちがこつこつと築き上げた新たな誇り、プライド。

小さなことでもいい。人のためになりたい。
隣の人を、隣の街を、隣の国を、気づかっていきたい。

世界中に届け、広島のプライド。
この言葉がずっと心に残っています。
僕が思う平和とは世界中の人々が幸せなことだと考えます。実現が難しいものだけれど地道な一歩を踏み出して実現していきたいと思います。

H
16:27
Message from
2026 6/26

僕は、広島に行く前、正直原爆をなめていました。その理由は恐らく色々な兵器を調べる中で「他の兵器の方が怖い」と思ってしまったのが原因でしょう。と言うか、兵器にこっちの方が怖いとかを考える事が間違っている。平和資料館で見たもので2つのものがとても印象に残っています。一つ目は原爆症で身体中に紫色の発疹が出ている男の人の写真です。感じたものは恐怖です。もちろん原子爆弾に対しても恐怖を感じました。でも、一番恐怖を感じたものは、その男の人の目です。どうしてかと言うと、目から、絶望、諦め、感謝この三つを感じたからです。その人の感情がごちゃごちゃになっているように感じて、恐怖を感じたのでしょう。二つ目は、原爆で自分の子供が死んでしまった母親が目を開けない我が子にいった言葉です。それは「目を開けて、目を開けて」です。この言葉を見た時に変な衝撃が走った感覚がして、突然恐怖と悲しみ?が湧き上がって来ました。僕には霊感なんてないけどその時にその母親の魂?みたいなものを感じました。この二つは僕に原子爆弾への恐怖を再確認させてくれました。僕が広島に行って感じたことは、「人間が一番怖い」ということです。そう思ったきっかけは、焼け野原と化した広島を皆で協力して、復興させたということを聞いた時です。僕の思考だと大分非現実的で「すごい」と尊敬の念を抱くのと同時に、人間の生きようとする力の恐怖も感じました。その恐怖は敵国のアメリカからも感じました。原爆の威力も十分過ぎるくらい僕にとっては非現実的でとても恐怖を感じました。原爆を実験目的も兼ねて投下したアメリカも鬼畜に見えますが、日本が最初に戦争を仕掛けたことを考えると、少し自業自得味があるのはとても複雑な気分になります。
十人殺されたと聞くだけでも沢山死んだと僕は思うのですが、140万人とか気が遠くなるくらいの人数が死んでいて、今からは考えられないです。最近なら一気に人が死んでも、2万にくらいなのに、原爆は約140万人で約70倍です。
碑巡りで鐘の説明を受けた時、外側のデザインは世界地図のようになっている事と国境がないことを教えてもらい、僕は国境が無い理由を「世界は繋がっているっていうことかな」と即答できました。恐らく広島を色々見ているうちに、昔の広島の人、今の広島の人、死んでしまった人などの思いが、願いが理解できたのかもしれません。そしてこれは1日目の話なので、ものすごく早く僕の心に平和への思い、願いが伝わっていた、響いていたのでしょう。僕は、毎日学校に通えることは当たり前と思ってしまっています。ですが、逆に考えると、それが当たり前と思ってしまうくらい、今が平和ということです。このくらいの平和が長く続く、誰もが感じられるよに自分にできることをしていこうと思います。