Pride of Me 私たちが創る未来
地元に、
新しいつながりを。
協賛企業 
㈱フジ
地元に、新しいつながりを。
スーパーマーケットとして、いくつもの時代の壁を越えてきた私たちに、
もう一度、超える時がきました。
ネットやデジタル化によって、街はどんどん進化しています。
だけど、人と人の「つながり」、地元の「つながり」は、
ちゃんと進化しているのでしょうか。
おじいちゃんも、おばあちゃんも、若者も、子育て世代も、みんながちゃんとつながっている。
それが、地元のやさしさであり、強さだから。
私たちは、モノを買う以上の新しい体験で、地元みんなのつながりを進化させます。
お買い物がなくても、お店にふらりと来てほしい。
新しいコミュニティなんていうと堅苦しいけど、地元のみんなでおしゃべりをしたり、
一緒に街のことを考えて、新しいドキドキやワクワクを生み出していく。
中国・四国・兵庫、地元を想う仲間と、お客さまとも一緒に、みんなでつながっていく。
私たちの新しい挑戦に、ご期待ください。
フジの成り立ち
● フジの前身「十和織物株式会社」設立
1945年、広島に原爆が投下され、その後終戦を迎えました。戦後からの混乱期真っただ中の翌1946年、株式会社フジ創業社長(尾山謙造)の兄(尾山悦造)とその仲間たちが「五十会」という中古衣料品のせり市を始めました。その4年後、フジの前身となる繊維問屋『十和織物株式会社』(現:(株)アスティ)を設立。高度経済成長の中、1957年には売上高10億円を突破する西日本一の地方問屋へと成長を遂げました。

● 株式会社フジ設立
1962年、より消費者に身近な商売を目指して小売業のフジ設立を決断し、1967年愛媛県宇和島市にフジ1号店を開店しました。そして1981年9月、ついに広島県1号店となるフジショッピングスクエア高陽店をオープンし、広島への進出を果たしました。その後、ファミリーデパートを目指し、1982年10月にはフジショッピングスクエア広島店を出店するなど広島県内で店舗を拡大しています。

● 本社を広島へ
2024年3月、マックスバリュ西日本株式会社と経営統合し、これまで以上に規模を拡大し広いエリアで運営できるよう、本社を広島市南区に移転しました。現在、広島県に「フジ」「フジグラン」「マックスバリュ」「マルナカ」「ザ・ビッグ」と当社を代表する5つの屋号を含む合計60店舗を展開、地元広島の皆さまにご愛顧いただきながらこの地で成長を続けています。
フジグラン広島に 原爆の絵碑移設
広島の地に根差す企業として、被爆の惨状を伝え、記憶の風化を防いでいけるよう、私たちにできる取り組みを推進していきます。
平和な未来に向けて
移動スーパーでもっと近くに
店舗へのご来店が難しい、中山間地域にお住まいのお客さまに商品をお届けするために移動スーパー「おまかせくん」を導入しています。レジや冷蔵設備を備え付けた専用車両に生鮮品や冷蔵食品などを乗せ、店舗と同じ商品をお届けしています。現在、広島県内には25台の移動スーパーが走っています。
デジタル化でもっと便利に
お客さま一人ひとりのライフスタイルに合った情報発信やお得なクーポンの配信ができるアプリが登場。スマートフォン一つでポイントを貯めたりお支払いができるなど、サービス機能も充実しています。
レジでは、待ち時間を短縮するために「セルフレジ」や「セミセルフレジ」の導入を拡大しています。
お客さまのお好きなスタイルで、商品を手に取って選ぶところからお支払いまでお買物をお楽しみいただけます。
フジのアプリ「F-commu」
イオントータルアプリ「iAEON」
未来に向けてもっと優しく
店舗が緑に包まれ地域社会に溶け込んだ場所になるという想いを込めて、新店舗オープンの際には地域の皆さまにご協力いただき、店舗周辺の植樹を行っています。
2024年11月には地域の皆さまのご協力のもと、広島市佐伯区のイオンタウン楽々園にて植を行いました。地域とともに、進化していくマックスバリュイオンタウン楽々園店を目指します。
㈱フジ
広島県広島市南区段原南一丁目3番52号
設立
1967年(昭和42年)9月12日
WEB
https://www.the-fuji.com/
復興に尽力した企業に残る80年前からの資料を基に、広島在住のクリエイターの視点を介し復興を感じ取る場「Pride of Hiroshima」の展示を現地でご覧ください。
Divide the footprints of the era related to reconstruction into six categories Please take a look at the "Pride of Hiroshima" exhibition, a place where you can get a sense of the recovery through the perspective of creators living in Hiroshima, based on documents from 80 years ago that remain at companies that worked hard for the recovery.